鬱病は治せるのか

鬱病と真面目に向き合おうと思って

何のために生きているのか、人生に意味はあるのか

普通に生きてりゃ何度か考える事があると思うんだ
僕は何度も何度も考えた
割と深刻なのかもしれない

4歳のころ、寝ようとしたときに、二度と起きないんじゃないかと思って泣き出し、部屋を飛びだし階段を降り台所で皿を洗っている母親に大声で
「人間はいつか死ぬの?」
と尋ねた、間違いなくその記憶がある
だが母親がなんと言ったかは覚えていない、皿を洗うのを中断して一緒に寝てくれた事だけよく覚えている

中学3年のころ塾へ通い始めた
出来は良くて偏差値はすごい勢いで上がっていった
ある雨の日、塾の理科の先生が一緒に迎えを待っててくれた
そんな中、先生に僕は結婚した後の話を聞かされた
結婚生活は平和だけど、別に相手のことを好きではないらしい
結局世の中は恋だの愛だのではうまくいかず、経済的にうまくいく人と結婚したんだそうだ
なんだそれはと思った、中学3年生の僕には全くわからない話だった
金銭感覚もくそもない、塾へ通ってる金も親が出している
何もわからなかった、ただ一つ、好きな人とは結婚できないんだと思い込んだ
好きという感情もわかっていなかった、なんとなく、この人と一緒にいると楽しいなとかそんな程度だった
でも、いずれ相思相愛の相手が現れて結婚して、幸せになるのが当たり前だと思っていた

高校2年のころ、棋士に憧れた
プロ棋士になるにはどうすればいいか調べた
ほとんど無理だと分かった
プロ棋士の99%くらいは生まれた時から環境で恵まれてプロ棋士への道を歩みだしているのだと思った
なんとなく小学校、中学校へ通い、受験し、高校へ通い、大学受験をして、その先は、、、?
やりたいことは、、、?
僕がなんとなくそれが正しいと言われたとおりに勉強をしている間に、プロ棋士を目指す人間は将棋だけを指し、将棋に埋もれた毎日を過ごしている
スポーツ選手だって芸術家だって作曲家だって歌手だって、その道への最短経路を歩んでいるんだと感じた
僕はどこへ向かっているんだろうと思った
自分で言うのもなんだが、相当賢い高校に入ったし、浮かれていた
京大もA判定が出たりすごい時期もあったが一気に冷めた
意味がなくなった
周りの人間は、選択肢を広げるために勉強をしておくんだと言った
納得したふりをしたが、それが当たり前として育てられていることが悔しかった

結局今になっても同じ状況で何も変わっていない、変わりやしない
人間は変われない
歴史の一部に過ぎない
国のコマ以下でしかない
有象無象の異性と結婚し子供を作り子孫を残し朽ち果てるだけ
人間はただ生命の種をつなぐために生きているに過ぎない
これは否定できるとは思えない
いっそ虚勢でもすればいいんじゃなかろうかとすら思ってしまう
生きる意味なんて人それぞれと言うが、明確に意思を持って生きねば、生きる意味などない人生になってしまう
意志をもって生きる意味を探し出せ
コマになるな、思考放棄するな
言い聞かせろ